未経験から製造業のエンジニアになった私の転職体験談
製造業のエンジニアという仕事に興味を持ちながらも、未経験から転職するのは不安がつきものです。この記事では、私が未経験から製造業のエンジニアへと挑戦した体験談をご紹介します。
就職活動の壁と過去の後悔
大学での就職活動時は非常に困難でした。それはリーマンショックの真っ最中で、多くの企業が新卒採用を大幅に絞っていたからです。私が応募した企業でも、「採用人数を減らした」「今年は採用計画自体を見直した」という話を何度も耳にしました。正直、私は大学に入ったものの勉強を頑張ってきたという自覚はありません。ほとんどサークル活動のダンス、バイト、そして遊びに時間を費やしていたため、就職活動の準備も遅れがちでした。
正直、多くの大学生が似たような状況だったのではないかと思います。当時の私はやりたい仕事が定まっておらず、学部も情報系だったので、プログラミングを授業で少し齧っていたことから、なんとなくシステムエンジニアが良いかなと思って就職活動をしていました。
特に身内や親戚が皆、自動車系だったので、自分は違う道に進みたいと何故かよくわからない意地を張っていたのも事実です。結局、そんなこんなで全然結果が出なかったので、途中から業種を問わず色々な企業を受けることにしました。
最終的に、丸々1年間就活を続け、なんとか眼科の医療機器を扱う商社の営業職として内定をもらうことができました。
営業職での試行錯誤
営業という仕事自体にそれほど興味はありませんでしたが、当時は「営業は社会人としての基礎を学べる仕事」と聞いていたこともあり、挑戦してみることにしました。また、医療機器という社会貢献度の高い分野なら、自分の仕事が誰かの役に立つという実感を得られるかもしれないと考えていました。入社後、最初の半年間はルート営業に同行して経験を積みましたが、この時点で自分にはこの仕事が何か合わないような気がしていました。
ちょうど半年が経った頃に転勤の話があり、一人立ちする機会が訪れました。このタイミングで、「一人でやってみてダメだったら転職を考えよう」と心に決めました。しかし、転勤後も営業としての仕事は上手くいかず、人間関係でもうまくいかない状況が続きました。その結果、最終的にはこの仕事を辞めるという決断をしました。
営業職を辞めてからの再出発
営業職を辞めるまでの道のりは11ヶ月に及びました。後で知ったことですが、同期3人のうち2人もすでに辞めていたようです。
辞めた直後は精神的にも参っていて、実家に戻ったものの無職のまま居候するわけにはいかないという焦りがありました。そのため、2週間後には転職活動を再開しました。ただ、前の仕事が上手くいかなかったこともあって、「スキルも経験もない自分でもできる仕事とは何か」と考えざるを得ませんでした。
その結果、黙々と作業をするような仕事なら自分でもできるのではないかと思い、自動車部品の検査や選別の仕事を見つけました。このときは、営業を辞めたことによるショックもあり、自信を失っていたのだと思います。
実際にその仕事を始めてみると、地味で単純な作業ではありましたが、自分にもできると思えたことで一時は安心感を得られました。最初の頃は、「社会に出て一年ももたない自分がやれる仕事はこういう仕事なのか」と思いました。 事実、営業をやっていた頃と比べるとプレッシャーやストレスの感じ方は全く異なっていました。しかし、何ヶ月か続けるうちに「仕事が単調で面白くない」「大学を卒業したのにこういう誰でもできる仕事をしていて良いのか」という疑問を抱くようになりました。
エンジニアを志したきっかけと設計職への転職活動
ある工場で検査選別の仕事をしているとき、ふと目に入ったのは、PCに向かって真剣な表情で作業をする一人の社員でした。「この人は何をやっているのだろう」と興味を持ち、そっと近づいて覗いてみると、画面には細かい線や数字が並んだ図面が映し出されていました。その瞬間、「自分が携わることのない世界がここにある」と感じ、心が動かされました。この出来事がきっかけで、ただの作業者ではなく『ものを作る側』として働いてみたいと思うようになりました。
このときに初めて、「製造業のエンジニアにはこういう仕事もあるのか」と知り、大きな衝撃を受けました。そして、「自分もただの作業者ではなく、作り手側の仕事に携わってみたい」と思うようになり、設計職への転職活動を開始しました。
2013年、この頃は転職エージェントという存在を知りませんでした。そのため、ハローワークや求人広告を使って職探しをしていました。
条件として掲げたのは、設計の仕事ができて、未経験でも受け入れてくれる企業でした。その中で出会ったのが、アルミダイカストの金型設計を行っているある技術派遣の会社です。
技術派遣会社での研修期間
その会社は社員10人ほどの小さな規模で、自宅兼事務所のような雰囲気でした。普段は社長とパートさんが事務所で業務を行っており、私もその中で基礎から学ぶことになりました。
金型や機械設計の知識が全くない状態からのスタートだったため、最初の頃はわからないことだらけでした。座学で基礎知識を学びましたが、正直あまり頭に入らず、何度も眠くなり意識が飛びかけたこともあります。笑
社長が直々に教えてくださり、同期は私を含めて2人しかいませんでした。しかし、社長は仕事になると非常に厳しい方で、CADの操作を覚える段階でも何度も叱られる日々が続きました。
そうした環境もあって、過去には多くの人が数日で辞めてしまったこともあったそうです。この業界の厳しさを改めて実感しました。
研修期間は約3ヶ月間続き、なんとか基礎を身につけてT社に配属されることになりました。私は同期に比べて出来が良い方ではなかったため、1ヶ月遅れての配属となりました。
配属後の業務と成長
配属後、最初は上司から簡単な業務をさらに切り分けてもらい、モデルの修正や図面の修正、資料の作成などを行いました。業務に慣れてくるとプロジェクトに入り、簡単な部品を任されることも増えました。ただ、上司からは基礎的な知識やスキル、考え方がまだ全く身についていないと言われ、休日返上で勉強会に付き合っていただくこともありました。具体的には、金型に関する部品の図面を一度CAD上でモデルに起こし、再度何も見ずに図面化するといった訓練を行いました。目標として、「いち早く業務を覚え、自分の給料分くらいの働きをすること」を掲げ、とにかく努力を続けました。普段の業務では金型設計の中で、トランスミッション以外にもエンジン関係の部品など様々な業務に携わり、経験を積むことができました。また、T社以外にもA社の業務で応援が必要な際には積極的に参加し、スキルアップと自己アピールに努めました。 そして、2年半後に会社都合で現在勤めている会社へと転籍することになりました。社長もご高齢だった為、このまま自分が社員をまとめるよりも若くて勢いのある会社でありながら自分と技術に対する思い等が一致している会社に託そうと考えたようです。
転籍後の経験と挑戦
転籍したからと言って今の会社もT社の技術派遣会社のうちの1つであったため、働く環境が変わるということはありませんでした。しかし、1年後に人事異動により私はA社への異動になります。正直、A社はT社よりもアナログなところが多いことを知っていたのであまり乗り気ではなかったです。ですが、アナログなところが多いということはメリットもありました。T社での進んでいるやり方をそのままA社で転用できればいろいろな業務改善が期待できるからです。しかし、実際そんなに上手くやれるほど私は1人前になっていないと実感しました。大した改善ができるわけでもなく、その場所でのやり方を覚えることで精一杯でした。ただアナログなやり方のおかげで今までよくわからなかった加工現場での知識や設計的な基礎力は身についた気もします。 また、A社での業務は苛烈を極めました。無茶な日程による長時間労働や急なPJの急な仕様変更等、様々な苦労がありました。酷いときは徹夜して業務に臨んだこともあります。今までに匙を投げたくなる場面に何度も遭遇しましたが、持ち前の粘り強さでなんとか乗り切っていました。私が今日まで在籍していった中で自社他社も含め、何人のエンジニアが居なくなっていったかわかりません。
それでも製造業のエンジニアを勧める理由
そんな過酷な環境でしたが、今では時代の流れもあり、だいぶワークライフバランスが改善されました。残業時間も平均で20h以下で有給も月に一回はとれているので、働いている環境も以前よりずっと良くなったと考えています。以前のまま環境が改善されなかったら誰かにこの仕事を勧めるようなことはありませんでしたが、今はそうではありません。また、仕事において自信をもって「これができる」と思えるのは良いものです。もし会社が潰れて別の場所で働く必要があったとしても自分のスキルと経験があれば安心して仕事にのぞめるのです。手に職をつけたい、と考えている方はぜひ一度製造業のエンジニアを検討してみてはいかがでしょうか?
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